2015年8月25日火曜日

Journey to Italy 2015 (1): Ostia Antica

あぁ、1年以上ぶりブログ。

ハロー!!ドーユーリメンバー ミーぃぃぃ??ローングタイムノーシーっ!!

この1年間、ブログをやめてました。
わざと。
ほんとよ、ほんとっ。大汗。
その理由はいずれ 。
それにしても、一年なんて文字通りあ っという間に過ぎていくんですね、中年になると。
3ヶ月ぐらいしか更新してなかった気がします。

でも長年の友ジョとのライフワーク(ちょっと大げさ)でもあるJourney to Italyはどうしても書き留めておかなきゃいけないような義務感にかられて、誰からも頼まれてへんけどアップします。
ほれ、去年のJourney to Italy(以下JtI)2014を最後にその間示し合わせたようにアップしてないでしょ。
まるでスウェーデンなんかに住んでないみたいでしょ?(Did I just say 「スウェーデンなんか」?)
そこになんらかのコンセプトがあるかのように感じてしまうでしょ?ww

べつに(エリカ様風)。

観光客がほとんどいません 自分探しの旅のお方でしょうか キャナイジョインユー?!




さて、1日目:8月25日。

オスティア・アンティカ。

フィウミチーノ空港に降り立った瞬間迎えに来てたジョとそのままオスティアに直行。
空港から15分もかからない。(ジョはピサから3時間のドライブ、あたしはコペンハーゲン空港から2時間10分でかっ飛ばしてきた。)
実は去年のJtIの初日にこのオスティア・アンティカに行ったら月曜日だったので定休日で閉まってたの。
あの 日は地面が揺らめいてるほどの酷暑だったので、閉まっていたことに内心ホッとしたの覚えてます。
今回も暑かったけどそよ吹く風もあったので心地よく遺跡めぐりができま・・・と、言いたいけど、このオスティア・アンティカ、ヴェスヴィオ 山の噴煙で埋もれてしまったあの有名なポンペイの町ぐらい広大なので、最後のほうはここはどこあたしは誰あれは何おす〜ん!がぁぢゃ〜ん、だった。
結局一番奥の区画までは足をのばせなかった。
なんせ2世紀(A.D)頃には人口5万 人いたというぐらいだからデカいはず。
ポンペイもそうだけど、このローマ帝国時代の都市文化の発達度ったら、形容ボキャ少なめでごめんなさいけど、absolutelyスゴいわよねっ。
こんなにも栄えてたのに10世紀頃には港が他の場所に移ったので放置されてしまったことにも悲しいものを感じます。
ちなみにこの町は天災に見舞われたわけでもなく、自然に無人になったそう。
「あぁ、俺たち自然消滅っすねぇ」と恋人との別れを語った若者を思い出す。ちなみにこれ誤用じゃね?ま、いいけど。

2000年前なのに、劇場、マンション(アパートメント)やショットバー、コンビニっぽい店、水洗トイレ、銭湯、やばい銭湯、全部揃ってるのよ。
2世紀ごろメキシコのテオティワカンで明日も太陽が出るように毎日人を生贄にして神に捧げてた頃(1日やめてみるってできなかったのかしら?)、一歩先行くローマンズは風呂入ってショットバーで一杯ひっかけてねえちゃん(にいちゃんも)をマンションにお持ち帰りしてたんだから(想像)、ところ変わればですね。

テルマエ・ロマエで有名なアイデア マンでおしゃれ、男色の ケMAXのハドリアヌス帝(あぁあの俳優さんあたしゃ好きなんだけどあの役はやめて欲しかった。っていうかあの映画自体・・・以下自粛)の時代にもっとも繁栄を誇ったらしく、朽ち果ててるのにもかかわらず当時のソフィスティケートされた雰囲気が2000 年の時を超えてもなんとなく伝わってきます。
最後綺麗に決まりましたw

詳しくはwikiで。

今夜はTuscaniaという町のお屋敷B&Bへ。

胸踊るタイル張りの床 上流階級の家


ネプチューン浴場



公衆トイレ 並んで座るのか立ってするのかわからず
古代ローマと同じ光
閉園間際、足が棒になるまで歩きました
遺跡より食い気 OstiaにあるRistorante Monumentoさんにて

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